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2023年 教員志願者倍率から考える~現場への私見と改善への視点

教育の視点
illustACぐらんぱんのイラスト

昨年度もこの話題で記事をあげました

昨年度は、教員の採用予定人数や志願倍率等の数値の変動に着目して意見を述べました。

今年度は、数値の変動ではなく、数値から読み取れることに着目して、教員の志願者数の減少や現場の教員不足とからめての意見を述べていきます。

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「先生が足りない!」の言葉が先行している

日々、ネット上の記事等の報道では、教育現場で如何に人が足りていないかについて、様々な意見が飛び交っています。また、その対策として教育委員会がどのような対策を講じているかも同時に述べています。その対策が、ご存じの通り「採用試験日程の前倒し」とペーパーティーチャーや社会人経験を生かした教員採用」です。つまりは、学生の早期確保と一般から教育への参入を促す策です。

”採用”することについて、大量退職後の補填や志願倍率が低い中で大量採用を行っても、質の低下が懸念されるという視点から、実行はされていない様子です。しかし、一方で教員として経験がないまたはブランクのある人の採用には積極的になっているという、個人的には妙な感覚があることを行っています。

この方法の背景には、「先生が足りない!」で対象となる”先生”は正規の教員ではなく、小中学校の臨時教員が足りないということであると考えています。学校教育の現場は、臨時教員ありきの教員配置がなされています。この臨時の担い手がいないことが不足[I]https://www.mext.go.jp/content/20220128-mxt_kyoikujinzai01-000020293-1.pdfだと喧伝する元になっていると考えられるのです。

教員の質を考えると、志願倍率の低下は確かに悩ましいことではあるとは思います。しかし、別の見方をすれば、定員を超える応募は依然としてあるわけです。社会人経験者等の採用も同時に行われています。つまり、正規教員になる人物は、選考を受けて教員となることに変わりはないのです。ですから、母数が少ない中から選ぶ状況にあるというだけで、採用に至るプロセスをすべて通過することで採用となるわけですから、心配や問題は少ないのです。それよりも、臨時教員として現場に入ってくれる人材の不足が、教育の質の低下になってしまっているのです。

この解消を狙った対策が上記の内容であるという見方をすると、違和感を覚えた事柄について納得できます。

一言で表すと、「臨時教員として採用できる人物の確保」です。

臨時的任用については、規模する本人が直接履歴書等を教育委員会に郵送して登録をするか、採用試験後に提出する希望用紙にて登録する方法があります。前者は随時募集ですが、希望者自らが行うので、その数を増やすことは難しい。しかし、採用試験という場においては、採用試験を受けるところまでの考えがあるため、「臨時であっても教育現場で働きたい」という意思があることが見込まれます。また、提出が任意であってもその場で「登録だけはしておくか」という考えで登録する人は一定数存在するはずです。

世間一般にどれほど先生が大変であるかが浸透している昨今、教員の職場環境、いわゆる働き方を変えていくことは、行われていますが短期間で大きく変わるものではありません。それ以前に、人がいなければ改善どころの話ではなく、誰かが担わなければ回らない現状が存在しています。とすれば、採用側の考えとして、短期間でも臨時としてその困難な状況に対応してもらいたいはずです。とりあえず疲弊している現場に対処することを考えると思います。しかし、正規教員は後述しますが増やせません。臨時でどうにかするしかないのですが、希望者も少なく足りない。その母数を増やすには、臨時として登録してもらう必要があります。とすると、その登録してもらう機会を増やすという対策になるだろうと予測できるのです。

完全に、今まで現場の先生の熱意と善意による自己犠牲で成り立っていた部分に改革を行ってこれなかったツケがやってきている状況だと考えます。

正規の先生を増やせば解消につながる・・・

さて、この考えば誰しも思い浮かびます。しかし、そもそも教員数は学校の児童生徒数によって、機械的に決められています。[II]https://www.mext.go.jp/content/20200221-mext_syoto02-000005120_5.pdf

様々な事柄に対応することが求められ、それにNOと言えずに応えてきてしまっている学校現場において、児童生徒の数が減ったからといって教員の数を減らしていては、現場は回りません。各自治体の裁量によって、人数が変わらないように調整できるようになっています。[III]https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab200601/002/002/017.htm

つまり、調整を考えると正規教員では様々な理由で変動する教員数の調整の対象にはできず、簡単に増減させることができません。もし不足が生じたら、現場にいる教員でその不足分を埋めるか、臨時的任用者でその穴を埋める必要があります。とすれば、採用しても調整しやすい(増減しやすい)のは、臨時教員なのです。繰り返しますが、この担い手が足りないから、「先生が足りない」となるのです。

一旦ここまでの話をまとめ

先生が足りないの根本は、臨時教員。
教員の配置数は、決まっているが、児童生徒の特別な支援に充てるため、一定数になるように調整を自治体が行っている。調整ということを考えると、正規教員ではなく臨時教員である必要がある。
 さらにここで、自治体が調整できるならば、自治体がどうにかすればいいという考えが浮かんでくるかと思います。が、どうにかできない事情があります。
 予算です。
 教員数は自治体の予算によってある程度決まる部分があり、他にも事情が絡んでくるので調整できる部分がないとうまくいかないわけです。

教員年齢のバランスに偏り

教員採用を考える際、予算によって数を考えなければならず、さらには各年代のバランスも考える必要があります。報道によると、大規模採用された時代の先生の大量退職の時期を経て、教員の平均年齢は若返りが起こっていますが、充足していない年代が存在します。それが30代後半から40代の教員です。[IV]https://www.mext.go.jp/content/20210324-mxt_chousa01-000011646_1.pdf

この年代は学校に限らず、長年勤めてきて、現場の流れがわかり上司や管理職とのすり合わせや後任の育成などを組織運営上重要な役割を担う割合の高い年齢層です。学校では、学校運営における実行役(学年主任や校務分掌における主任等)となり、この数が少ないことを示します。20代30代前半であっても、担える人物ももちろんいるとは思いますが、その数は少ないでしょう。仮に担当させたとしても、激務である学校現場で、追加で責任ものしかかってしまいます。とすると、年齢が若いが故に”転職”してもリスクは小さいため、その道に流れてしまうかもしれません。その考えを持たせては、優秀な人材の流出になってしまいます。さて、そうすると内部の流動性はかなり少なくなってしまいます。

結果その解消は、「外部から人材を確保すること」となるのではないでしょうか。

社会人経験者や教員ブランクのある人物を対象とすれば、この年代の確保の可能性も広がります。もちろん、正規として採用試験で一定数確保もするでしょうが、それだけでは足りないし、充足させることはそもそもできません。欲しいのは、臨時であっても経験を生かして、現場の責務をこなせる人物です。民間出身の校長も珍しくなくなった今、教員も民間出身を取り入れることに抵抗が少なくなっているという背景もあり、今回の対策の焦点になったのかもしれません。

「先生が足りない!」に”臨時の先生”がという注釈がつかないことへの私見

報道されている部分について、特に見出しでは視聴者や読者の目を引くには、「先生が足りない!」が効果的だと予想される一方、詳細はどこでどれだけ足りていないという数値の事実ばかりで、そこまで重要視されていない印象。だからか、掘り下げた報道は少なく、実態が把握されていないのではないかと考えられます。

となると、今後この対策によってある程度の志願者数が増え、臨時採用への登録者数が増えた場合に起こると想定されることがあります。

すべての自治体ではないが、実際に起こっていることです。

それが、臨時がゆえに雇用が年度毎であり、その更新のために、校長からの打診で指導が困難な学校、クラスを担当してもらうことや勤務期間が数か月(正規教員が病休や育休から戻ってくるため)となり、その先はどうにかするからと不安定な雇用をさらに不安定にさせることを交換条件にするというやり方です。このやり方は、学校を回すという観点しかなく、もしこの不安定な状況で臨時の先生自身が心身に支障が出て退職してしまったとしても、別の先生を探せばいい。条件の提示のやり方は一緒で、先生個人の生活は考えず、年度途中で先生が変わることによる児童生徒への影響を最小限にするという配慮もありません。

以上のことは組織の問題ですが、このやり方、良い悪いの判断がなされているとは到底思えません。「今までそうしてきたから」、「このやり方で、大きな問題になってこなかったから」という安易な考えで、問題として取り上げて解決に向かう余力のない組織がそこに存在していることを伺わせます。この組織の動力は、学校現場で前例踏襲・変わらないことにエネルギーを注ぐことに順化してしまった先生たちです。

こういった先生を生み出してしまっているのは、形だけの研修であり(臨時教員にはそれすらありません)、右も左も分からない初任者は、現場で長年働いてきた人物に聞いて仕事をするしかなく、多忙ゆえに外部の組織とやり取りをする機会に乏しく、自分の置かれている環境がいかに特殊かに気付く術も少ない。そんな組織において評価されるのは、当たり前のことを変わらず当たり前にやることであり、変えようとするとその労力は途方もなく、逆風が途端に強くなり、心理的安定は失われ、自己肯定感は著しく低下してゆく。そのリスクを負ってまでなすべきことはなく、そんなことよりも目の前の児童生徒や保護者に対応しなければならないといった環境ができあがってしまっているのです。

 

組織の問題を解決するのが先

臨時の先生が足りないことについて述べていたのに、学校に関わる組織の話にすり替わっているように思えるかもしれません。しかし、結局のところ対処すべき変わるべきは、個別案件で取り出されることではなく、学校に関連する組織なのです。

さて、ここまで述べてきたことは私見であるので、まったくの的外れと言われればそれまでです。

ですが、時代に沿わない教育の在り方に疑問を投げかけられ続け、長い期間が経ちます。それを把握していながら、どう変えて、どう実行してくのかが大きな流れとして動いている様子が感じられません。結局目の前に現れる問題に対処しているにすぎず、根本を変えられずにいます。そこに人が足りないといった新たな優先順位の高い問題がやってきて、もうどうにもならないのだろうなと思ってしまいます。

どの組織においても、

「誰かどうにかしてくれ!」と叫び続けているでしょうが、誰かは一向にやってこないでしょう。

その誰かは、今、教育に携わる人々が覚悟を決めた瞬間に現れるからです。

これ以外に私は変える方法を考えられません。

脚注[+]

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