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教員になりたい人へ:私の経験から言えること

教育の視点
illustACacworksのイラスト

教員志望の割合が減りつつある昨今において

 学生を主として考えると、教育実習を経験する前から教育現場がどれほど大変かと刷り込みが多くなされています。特にニュース等の報道において顕著です。ニュースを見ていなくとも、先輩に聞いたり、SNS上でその情報を検索すれば、教職への負のイメージが加速する状況にあるでしょうか。

 また、話題になりやすい、注目を浴びやすいという点で教員による不祥事や事件についても、目にする機会が多いです。これは教職に対する負のイメージを助長させます。

 その一方で、教育現場で起こる行き過ぎた指導として、”暴力”、”パワハラ”、”モラハラ”などが排除される動きがあります。これは、教職現場に対してプラスイメージです。

 このような前情報を持った状態でいざ、学生たちは教育実習に臨みます。一週間もすると、慣れが出てくるし、周囲の状況に目を向ける時間が出てくるはずです。その中で、授業準備やその他の業務に追われる先生を目にし、このまま進んだ際にどうなるのか、自分自身のこととして考える場面も出てくるはずです。短い期間ですが児童生徒と触れ合う中、教員になることに好印象を持つも、指導や対応に苦慮する児童生徒の実態も同時に見えてきます。

 さて、当事者たる学生はじめ教員志望者たちは、前情報と実経験によって最終的に、どのような判断を下すでしょうか。もちろん個人によって差異はあるでしょうが、実際に教員志望の割合が減っていることを考えると、やはり諦める判断をしまっているのではないでしょうか。

 

 教員になって学校で働くことに関して、以前に以下のような記事を書きました。

 ですが、この記事で言っていることについて、やれないものはやれない部分があると思います。

 であれば、すでに制度として各都道府県でも枠を設けている社会人経験者採用。この方たちを教育現場にという流れが強まることを考え、私の経験を踏まえて、社会人経験を基に教育現場で活躍することについて、お伝えしたいと思います。

 

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結論:社会人経験をしてから教職の道に進む方が、授業以外でできることが多くなる。そして、大変さの中に自分自身と児童生徒の両方を視野に入れた活動を実践できる。

 授業に関して言えば、初めて学校に勤務することになったならば誰もが心配し、一生懸命に準備をしていくと思います。ですから、授業は学校に勤務してからの部分が大きいので、いつ教職に就いたのかといった、年齢に関する部分はあまり関係ないように思います。どちらかというと、社会人経験は授業以外の業務内で大きな差が出てくるものと考えます。

 その理由を3視点で言うと、

 社会人経験によって

  ① 業務遂行上、社会・他社・顧客・地域・製品と広い視点が備わる

  ② 業務全般で自己と他者を含めたマネジメント力が養われる

  ③ 成果と評価と賃金が直結するので、創意工夫と実践のサイクルを生み出しやすい

 

 ここまでで何かを得て、「わかった」となればこの後はお読みにならなくていいと思います。以上の3視点の根拠について経験を交えて、以下に示していきます。

 

①業務遂行上、社会・他社・顧客・地域・製品と広い視点が備わる

ざっくりと言うと、自社目線と他社目線を持っているかどうかの”意識”が生まれることにあります。

 自社は、コンプライアンス[I] … Continue reading、CSR[II]企業の社会的責任(英: Corporate Social … Continue reading、CS[III]顧客満足(英: customer satisfaction, CS)または顧客満足度とは、人が物品を購入するとき、その物品に感じる何らかの満足感のことである。wikipediaより、KGI[IV] … Continue reading、KPI[V]重要業績評価指標(英: key performance indicators, KPI)は、組織の目標達成の度合いを定義する補助となる計量基準群である。KPI … Continue readingなど。学校においては、広義には学校経営そのものです。もちろん、利益に関する部分は考えません。

 他社は、競争、営業、交渉、協業など。学校では、保護者含め、学校外にいる人とのコミュニケーション。

 簡単にまとめると、仕事をする上で自社の都合や思いだけを追い求めているのでは、他社との競合に負けることもあるし、顧客が離れていくこともある。結果、自社の存在意義が揺らいでしまうが故に、常に自社・他社の目線で仕事ができているかという意識です。

 それぞれの細かい用語解説は、簡単には注釈を読んでいただき、より詳しくという場合にはご自身で検索していただければと思います。

 もちろん、学校ですから会社で用いられるような言葉は利用されません。ですが、それに近しい行動は日常的に存在しています。

 コンプライアンスとCSRの意識(=学校経営全般において)、KGIの設定とKPIの設定(=教育目標、方針の設定と遂行)、KPI達成状況による振り返り(=学校評価アンケートによる振り返り)、CSを意識するような関わり方(学校では合理的配慮がこれに合うかもしれません)。これらによって、学校全体の在り方が決まってきます。指標としては、児童生徒が通いたい学校、保護者が通わせたい学校であるかどうかと言えるでしょうか。

 競争を意識というのは無いかもしれませんが、近隣問わず他校の実践例を取り入れる考えがあるかどうかとして捉えることができます。所属校以外の事例に目を向けることもそうですが、もっと広く社会情勢に目を向けられているかどうかも、競争という意識には関係します。言い換えれば、旧態依然をよしとしない考えです。

 営業、交渉、協業については、保護者をはじめとする児童生徒に関わる大人を教育活動の支援者になってもらえるような活動をしているかどうか。

 

 私が経験した企業では、月一の定例会議で数字を含めた短期、中期目標を通達されました。そして、その数字の根拠となることや人、目標達成過程では何を意識しているかなどがその通達の中では明確になります。定例ですから、同じことを何度も繰り返され、嫌でも意識をすることになります。結果的に、日々の業務の中で「そういえば、これはこういったことが意図されているんだったな」と振り返る機会が自ずと増えていました。目標の再認識です。

 社会人経験のない先生であっても、この振り返りを学校全体を意識せずとも、自身の仕事の範囲でやっている先生は必ずいます。ただ、その割合は肌感覚で恐縮ですが、1割未満です。その理由の多くの部分は、時間管理ができているかどうかにあると考えています。

 

②業務全般で自己と他者を含めたマネジメント力が養われる

 業務に対して、どれくらいの期間で、時間で終わらせるのか。誰に相談して行うとよいか。長時間勤務が当たり前になっている中、タイムマネジメントが残念ながら上手でない先生は多いです。また、生真面目である先生が多いため、”やらなければ”の思いが強く、やることは固く決意してやり遂げる傾向にありますが、やらなくてもいいことを”やらない”と決断することについてはそもそもの考えをお持ちでない場合もあります。

 次から次へと、想定内も想定外の仕事もやってくる学校現場で、仕事を管理することが困難である場合が多いので、仕方がないとする風潮はあります。

 

 社会人経験があると、仕方ない風潮に染まりにくい。タイム、スケジュールマネジメントはするもの。それができていないと半人前という意識が刷り込まれやすい環境にあるからです。長時間勤務で残業代で稼ぐという考えで、あえて時間をかける方もいますが、そういった例外を除いて”早く、短く、正確に”が当たり前です。”早く”するためには、やらないことを明確にします。だらだらとあれもこれもとやっていては、目標達成に向かえません。また、”短く、正確に”については会社という大きな組織以前に、部署内や係内など小組織を回すために必要ですし、何より上司がそれを求めてきます。よって当たり前に順応し、仕事を覚えていきます。

 経験上の例ですが、企業ホームページについて。単にホームページを掲載しているのではなく、会社名での検索数や特定ページへの流入数、そこからどのページに流れたか、どれくらいの時間で離脱したかの数字を見て、今後のホームページ運営をどうするかを決めていました。レイアウトや文字数や図表の入れ方について試行錯誤して改良したり、請負先に発注したりします。季節や時間帯によっても変動するものに対して、閲覧者の背景を考えて物事を決めていく必要があれど、直接閲覧者に聞くことも難しいので、あれやこれやと考え、議論して決めていく過程では、時間をかけてもいいものが生まれるものでもなく、かといって何の考えもなければうまくいくものではない。実践を繰り返して、得られる結果をさらに精査し、再度実践へというサイクルが当たり前でした。その中で、タイム・スケジュールマネジメントの意識は出来上がったと思います。

 

③成果と評価と賃金が直結するので、創意工夫と実践のサイクルを生み出しやすい

 業務の遂行によって得られる成果は、当然それは評価されて、賃金へ影響します。

 学校の先生は公務員だし、賃金を意識せずとも元々サラリーマン平均よりも多い報酬を得ているんだし、成果と評価と賃金の関係性を意識した仕事は考えにくいのではというのは昔の考え。

 公務員法の改正によって人事評価制度が導入され、評価はされますし、昇給・ボーナスにおいて評価が影響します。それに伴って、自己申告書なる書類作成が当たり前になりました。年度当初など忙しい時期に、文章を考えて提出する必要があるので、現場では面倒なことの一つとして捉えられている印象が強いです。ただ、個人的な感覚では、先生方はそこまで評価を気にして仕事をしていません。理由は、そんなことよりやるべきことがあり、単に忙しいからです。

 また、評価制度によって昇給やボーナス上昇となる内容が、かなりハードルが高いことが理由だと思っています。これは受け止めは個人差があるかもしれませんが、高評価となる内容として、実践・研究が全国(S評価)・全県(A評価)で評価される必要があるのです。とすれば、目の前の業務に取り組むことが精一杯であれば、なかなか高評価のための行動とはなりにくいのではないでしょうか。また、昨今は児童生徒の個に合わせた指導をするようになっていますから、一層広く評価されるような教育活動は限定的になっている面もあるのではないでしょうか。

 一方、企業では評価制度を設けていて、年度中に何度か上司との面談を実施したり、自己評価をつけさせたりが通例となっています。私が経験した中小企業では、全く評価制度を設けていませんでしたが、他に勤務した企業では、評価・自己申告書制度があり、給与に反映されていました。また、評価によってどの程度給与に影響するのかも数値で明確に示されていたし、評価項目も具体的ではないにしても示されていました。結果、数値目標を立てることと、それに向けて何をするのかを明確にし、仕事に取り組む姿勢を促していました。

 私も最初は、そこまで気にしていなかったのですが、やはり明確に成果と連動することを目の当たりにしてからは、意識して取り組み、目標達成のためにできることを企画・提案するための知識をつけ、準備・実行するための道筋を立てて、実践することが当たり前になっていきました。それが、成果につながったかというと、やはりそこは上には上がいるので、なかなか難しいことではありました。とはいえ、行動すればそれが人に影響し、また自分の中でもさらなる行動に繋がっていったので、無駄になることはありませんでした。

 

以上を理由として、見出しに書いた通りの結論になります。再掲しますと、

結論:社会人経験をしてから教職の道に進む方が、授業以外でできることが多くなる。そして、大変さの中に自分自身と児童生徒の両方を視野に入れた活動を実践できる。

 

おわりに

教育現場では、自己犠牲が当たり前に行われています。毎日遅くまで児童生徒のために仕事をしている先生は、ご自身の体を休める時間、家族と共に過ごす時間を削っています。ですが、このやり方は残念ながら、必ずどこかで歪みが大きくなり、自分や家族がその歪みの修復に多大なコストを払うことになります。

そして、その際の影響は務める学校や担当する児童に及んでしまいます。そうなる前に、自己管理も徹底して行う。理由は、自己のパフォーマンスが良くなることが、組織のパフォーマンスになるからです。この感覚は、教員としてキャリアをスタートすると、なかなか身に付かない場合が多いのではないかと思います。

ぜひとも、教員を志望されるならば、児童生徒を思うのと同様にご自身のことも気にかけることができる先生となり、後世の育成に当たってもらいたいと願うばかりです。

脚注[+]

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