#教師のバトン 今やその存在すらも記憶から薄れて
2021年の3月に文部科学省によって始められたプロジェクトであるが、その思惑とはことなる内容のツイートが注目され、教員のいる現場の悲惨さを世に広めるという点で、功績があったのではという意見も散見されます。
この記事現在においては、そのツイート数も減り、注目されることも無くなっている状態です。
さて、この #教師のバトン プロジェクトは世に教員の現状を知らしめることで、教員の置かれる状況への理解が示される一方で、教員を目指す人々にとっては、”先生としてはたらくこと”に対しての、大きなネガティブキャンペーンとなったとも言えるのではないでしょうか。
データから見る教員の担い手減少
ネット上で公開されているデータ[I]2023年度(2022年夏実施)教員採⽤試験志願者数⼀覧https://book.jiji.com/basic/app_guide/app_guide-7334/教員採用試験対策サイト、2022年度(2023年度採用)の教員採用試験者数一覧を全国的に集計すると(数値を公表していない自治体があり、また採用の方式も一様ではありません。よって現状を正しく表せているとは言い切れない。)、全国的に志願者数は減り、かつ倍率も減少していると言えます。
※茨城県などの一部の自治体では、試験日を他と違う日程にするなどで増加しています。また、沖縄県など、その自治体の土地柄によって、高倍率を維持している自治体もありますが、垂直比較をすると減少傾向にあると言えます。
詳細をご覧になりたい方は、次ページにて掲載していますので、ご確認ください。
ここでは、私が集計した全体の結果のみを記載します。(公表されている数値を機械的に集計したものです。あくまでも参考値として捉えてください。次ページについても同様です。)
集計データ項目(2022/07/01現在) | 数値 |
集計可能な自治体の全体数(都道府県+市)※数値非公表集計不可自治体数3 | 64 |
小中志願者増減(2022年と2023年を比較) | ▲3053 |
小中平均倍率 | 3.36倍 |
データは小中を掲載していますが、小学校だけで見ると、倍率が2倍を切っている自治体は20。3倍を切る自治体は40となっていました。
志願者数の時点で、次年度(2023年度)始めには、今年2022年の4月にも話題になった教員の数が足りない問題が再出することが予測されます。
ちなみに2022年4月の始業式時点で、全国で小中高など合わせて、2558名の教員が不足しているという調査があります。
とすれば、私が示したデータは小中のみではありますが、採用試験を行う前にもうすでに教員が不足する可能性が高いことが伺えます。そして、全国平均は過去最低の倍率になることも予想されます。確実に、教員志望者が減っている事実を受け止めなければなりません。
各自治体も一切の工夫がないわけではなく、社会人経験者の採用を増やす等を行っています。ですが、そもそもの志願者が少なくなっている、つまりなりたいと思われなくなってきているという根本を解決しないことには、改善は非常に難しいと思います。
にも関わらず臨時教員は、臨時のまま据え置きされがちな制度や考えも、これを機に見直してもらいたいものです。
さらに顕著な若者の教員敬遠
ネット上で、公開されているデータ[II]教員志望者減少に関する教員志望の学生向けのアンケート結果https://youthconference.jp/archives/5068/日本若者協議会、教員志望者減少に関する教員志望の学生向けのアンケート結果によると、多くの学生は教員がいかに魅力的な仕事であるかについては、とてもよく理解されています。
しかしながら、あまりにも取り巻く労働環境がひどいと感じることが多く、敬遠している様子です。
労働時間と給料がまったく割に合わない上に、裁量を持って仕事ができる環境が少ない中での仕事・教育活動が、教員自身、自分のことをさておいて仕事をしているにもかかわらず、児童・生徒の将来に有益となるものとなるのかどうか、やった分やそれ以上の反応や効果が生まれる、いわゆる”やりがい”になるのかといったところにまで疑問を持っています。
また、学校版インターンシップとも言える【教育実習】に行っても、得られることはポジティブ面よりもネガティブ面が大きいようです。アンケートに書かれている内容からは、慣れないわからないことだらけの実習という大変な環境下だからこそ、自身がこれから働くことになるであろう学校現場がどういった場所であるのかを評価しています。
そして結論として、学校は働きたいと思える場所とは違うという認識に至っているます。
仕事としての魅力は十分にありつつも、職場環境が希望しない理由の多くを占めるという結果となってしまっています。
世間で喧伝される教育現場の状況からか、そもそも教員を目指す若者が減ってきている。加えて教職課程にあっても、教員にはならないと考える学生もいる。さらには迷いつつ参加する教育実習の体験が、教員の道へは進まないと決意する機会になってしまっている。
”ぬるい考えだ”や”甘えだ”と若者の考えを否定する気持ちも生まれるかもしれませんが、世代が変わればその捉え方や考え方も変わります。
もっと言えば、今の若者の考え方の一部は、学校による教育によって形成されたものでもあるわけです。身近で見てきた先生という存在が、憧れや羨望といった好意的な見方をされていない。
その事実に目を向ける必要があるのではないでしょうか(とはいえ、現在の退職された世代や大ベテランとされる世代の先生方は、「でもしか」で教員になっていた(いる)方があるかもですが、それは置いておきます)。
現状とこれからに向けての個人的考え
現場で指導の立場にいるうちは、日々のことで余裕はないと思います。そこからの脱却などを目指し、見事試験に合格し、管理職となる。その後問題さえ起きなければ自身のキャリアは安泰であるため、何もしない。したとしても、自身の昔からの鬱憤を晴らすようなハラスメントだらけで事なかれ主義の校長や副校長(あくまでも超個人的な印象です)。
この状況で、学校を変えていくことに時間やエネルギーを使えるでしょうか。
日々学級運営・授業準備・分掌仕事を抱え、自分が何年で今の学校から異動となるかも不明な状況にある。一方で、数校を5,6年程度の期間に管理職として問題が起きなければ晴れて定年(校長となれば、概ね2,3年の期間)という状況で、学校の改革を考えて行動に移す方がどれだけいるでしょうか。
もちろん大変多忙の中でも精力的に活動され、ご活躍されている方々はいらっしゃいます。ですが、その方々はメディアで取り上げられて、真似ができないすごい先生というようなモデルとされがちです。つまり、全国的には広がらない事例となってしまう傾向が非常に強い。
であるならば、やはり根本的に制度の変更を通して、現状を変えることが優先です。
旧態依然として変わらない、変えられない。その責任は、学校現場にある。
ではなく、現場で働く先生方にその余裕はなく、その中でも目の前の児童・生徒のために身を削り、自分の時間も多く持たずに絶え間ない指導に従事している先生をまず救う、業務を減らす、自分の時間を持てるようにする、様々なことに考えをめぐらせ、改善するための行動をする余力を作る。
子どももそうですが、大人であっても自分が安定していればこそより一層、自分以外の人のことを考え、その成長に寄与できるものだと私は思います。
ましてや教員ですから、誰よりもそれが考えられ、できる人々です。
もちろん、変えるために中長期計画を出し、その計画の達成の一歩として、現場改善というそもそもの部分から体系的に変えていく。
こんな考えは、今までにも数多くあるだろうし、これからも多く当たり前に出てくるはずです。そんなことが、これから先も何十年と続いていく状況を変えねばならない。が、現実的にはそうなっていかない。
そんなループを断ち切るには、変えられる立場にいる人々が、どれだけ矢面に立たされようとも実行する。現状として、GIGAスクール構想を実行できている(現場で使いこなせているかは置いておきますが)のであるから、教員を取り巻く改革も同様にできるはずと、個人的には考えますが、どうもそうしてはくれないようです。
ここをどうにか変えたいものですが、どうするのがよいのかと考えてしまいます。
おわりに
今回は、問題点を提起しておきながら、解決できる存在にどうにかしてくれという、他力本願な考えを述べるに留まってしまいました。
変えられている学校が実際に存在し、現場の先生方も変わっている、変えられている実感を持っているという記事も目にします。ですが、やはりその原動力になっているのは、”校長”であることがほとんどです。
これらの事例は先進的ですばらしいことである。
ただ、できている事例やその人物が素晴らしい、うちには関係ないと受け取られ、行動にならないのであれば、変えていけません。
改革ができる人に、その手腕を他の学校でも奮ってもらう。
これもまた変えられても一部のみです。
校長が動けば変えてゆける。だから校長がなんとかすればいい。多忙な現場で仕事をしてきたがゆえ、言い方を変えれば改善の視点を持って仕事に取り組める状況になかったがゆえに、校長を始め管理職となって何をするのか。なってからが出発点で、あれこれと対応する中で、学校運営に力を注ぎ定年となる。その間に、組織を変える行動をやれというのも、非常に困難であると思います。
今や全国的な問題が噴出しているからこそ、変えられる立場にいる人々が変えてゆく道筋を立て、実行を促してゆくことで現場を変える。これが国を担う次世代の育成となるという認識の元に。
教育が国にとっていかに重要であるか
現場と共通の思いを持っていると信じて。
脚注
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