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【教員】底辺校での経験は、最強のマインドを生み出す

体験記

教員として底辺校勤務は最悪の事態か?

授業成立は考えられない

授業が始まり、生徒は全員席に着き、机上には教科書、ノート、筆記用具が準備されている。ある生徒のノートには、予習の跡がみられる。そんなことはまず、ありえない。

生徒は、着席はおろか教室にいない。教科書やノートの代わりに、マンガやゲームやお菓子が並ぶ。前の授業の板書は残っていれば、かなりいい方。次の授業のために消されていることはまずないし。そもそも前の授業でも、板書ができる状態であったかすら定かでない。

騒然としていることが日常の教室では、始業のチャイムが聞こえる状況なら、ましだと思える。

それが私が非常勤講師時代に経験した、『底辺』の高校の現状でした。

まず第一に、相手が高校生であるとして交流しようとすると、衝突・葛藤・不安・不満など負の感情があふれてくることでしょう。こちらとしても、教員となった、教員であるからこそ『教員としてあらねば』という意識の元、「なんとかしなければ」と苦心することになります。さて、こう考えてしまう非常にまじめな方々は、疲弊し、最終的には離職となってしまう可能性が高いです。

 

状況を変えたいという欲求

日々目にする状況に対して、「どうにかしたい」と思われることでしょう。

私もかつてはそうでした。

でも、どうにかしようとして『力技に出る』と、うまくいかないことが多々ありました(ここでは割愛します。うまくいかなかったので)。中には『力技に出られない方』もいるでしょう。

そこで疑問に思うことは、この辛い状況は私だけなのか、そうでないならば同じ境遇にある同僚は、なぜこの状況に疲弊していないのか。辛くはないのか。どんな手を使ってこの生徒たちを指導しているのか。それとも、すべてを投げ出し何もしていないのか。

その疑問の解を得るために、私が行っていたのが、できている先生に聞くこととその先生の授業や対応の仕方を観察することでした。話を聞きやすい先生や自分の置かれた状況とは違い、上手に指導をしている先生は必ずいます。その先生に聞く。そして、そういった先生に限らず、他の先生がどのような指導をしているかを、見学させてもらう。

直接見学させてくれということが難しい場合もあります。そういったときは、用事がある体を装って授業中に廊下を通り過ぎるなどで観察すること。これらが、一番自分を助ける近道であると思います。見れば、わかることは多くありますから。

まず聞いてしまうというのも選択肢としては有効であると思いますが、授業を観察した上で上手に成立させている先生を見つけて、その先生に聞くことが効果的です。

というのは、その先生は術を知っているからです。そして、大体の場合自分と同じ経験をしてきているからです。そして、乗り越えて、今があります。

今、主に授業という点で教員としてつらい状態にある方は、あきらめる前に試してほしい。そして、今の経験が今後どのように自身の教員人生で活かされていくかを考えてほしいです。

なぜなら、ここを乗り越えた経験は今後の教員人生の中で、数多の生徒対応への基盤になるからです。平たく言うと、「怖いものがなくなる」ということです。

 

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辛い日々に転がる好環境~生きたスキルを身に付けられる~

授業が成立しない。ならば、成立する方法を見つけてみよう。最初にアドバイスを受ける中で、考えたことです。

以下は、私が経験したことの一部をかいつまんでの話になります。お時間があればどうぞ。

_________________ 体 験 談 ___________________

こちらが提供しようとする授業は、彼らは要求していないものです。ならば、まず授業をしないことから始めました。授業をするにはこちらの声が聞こえる状態をつくらねば話になりません。ですので、生徒に話をさせてその返答として、こちらの話が通る状況をつくりました。まともに授業は受けませんが、自分の話をすることや授業に関係ない話をするのは好きな生徒たちです。そして、教室内の仲間が話をしているときはその生徒の話を聞いたり、それに乗ったりして話ができる状況にはあったので、それを活用しました。

単に、生徒の行動でも持ち物でも何でもいいので、「それ何?」「おもしろいの?」「聞かせてくれない?」といった具合で、教室をうろうろしながらどの生徒にも、話を振ってみました。反応は意外とあって、教室内で話をすることができました。(もちろん傍から見たら、授業は一切やっておらず、生徒と談笑しているかなりひどい状態ではありますが・・)

話をしていると入ってくる生徒がいたり、その会話の途中で教室内にいる他の生徒に呼びかけたりなど、生徒の声がまず通るようになりました。そこで、すかさず私が全員の前で話すようにし、私の話を聞く状態をつくりました。最初のうちは、教室の端っこなどでしたが、それを壇上から動かずにやってみるなどしてみた。もちろん、ここまで来るのに数時間授業をつぶしています。ですが、結果論になるが長い目で見れば意味のあることでした。

話をしてみると、授業は受けた方がいいという認識はあるようだが、周りに単に流されている状況にある生徒もいることに気付きました。そこで、生徒と話をする時間の中で、ギブアンドテイクで授業をするようになりました。

その時の提案の仕方は、「私は授業がしたい。それを望む人もいる。でも、話をするのもおもしろい。まずは話がいいか、授業がいいかを選んでほしい。でも、時間で区切って授業も受けよう。」

全員がすんなり受け入れはしませんでしたが、従う生徒の方が多かったので、授業ができる状態は作れていきました。

結果的にこの年は最後までこの状態ではありましたが、授業ができるようになったことは大きかったです。

そしてその授業も、相手が相手ですのでポイントを絞り、必要な知識を与えつつも、飽きない内容を盛り込み、身近に関わるものにも目を向けさせ、授業内容の重要感を感じさせるようにしました。その為には、限られた時間で授業をするための教材研究をしっかりとする必要がありましたが、本来やりたいことでしたので、全く苦ではありませんでした。むしろ、生徒の反応が返ってくるのがおもしろいので、楽しく教材研究できました。

___________________ 体 験 談 __________________

以上の体験談は正直褒められた内容ではありません。授業のためとはいえ、教室管理ができていなかったのですから。さらには、生徒指導はしていないようなものです。生徒の自由を認めています。教師として毅然とした態度で接することもできていません。今にして思えば、よく契約打ち切りにならなかったものです。

さて、以上のことで多くの授業や生徒指導で必要とされる力が身に付いたと考えています。

個別に簡単に述べてみます。

<教科指導>

教科書の内容に沿って、太文字や図表に関わる用語を説明していく。この高校での授業が最初から成立していたら、ほとんど磨かれなかったと思います。こういった生徒たちであったからこそ、正直なところ多くの間違いや失敗などをしても、受け入れてもらえたし、そこから学べることも多かったです。加えて、説明も図表もポイントを絞って伝わるように工夫した教材研究をする。さらに加えて、それが生徒たちの身近な何と関係しているかを理解してもらうようにする。これは、今でこそ授業では当たり前に行っておりますが、最初の勤務校でこの考えが私の中に備わったことを考えると、辛さはありましたが感謝すべき点とも言えます。

<生徒指導>

どの学校にも怖い先生はいるかと思います。うまくいかないので、その先生にお願いしてどうにかしてもらう「虎の威を借る方法」があります。ですが、自分自身の力ではないので、効果は一時的ですし、乱用すると見下されてしまいます。また、その先生の真似は、自身の風貌や性格と相談しないといけません。であれば、自らのやり方を確立する方が、結果的に指導力が向上します。時間はかかる上に、失敗も多いですが、自身の教育観を実践しやすくなるし、いろいろな生徒に対応しやすくなります。

また、自身の変化として、生徒の言動に対する感情をコントロールしやすくなれます。教員側にある、一方的な思いを一方的に伝えるやり方は生徒に浸透しません。生徒は、いろいろな背景をもっているものです。その背景は一要因でしかなく、複合されて生徒のその姿をつくっています。ですから、その生徒にとって必要なことは汲み取らないと指導が難しいと私は考えます。当たり前ですが、どの生徒に対しても確実に効く汎用的な指導は存在しません。生徒自身の情報を得た上で指導することが生徒指導と言えると思います。もちろん、個を見据えた指導は先生にとっては、多く時間を取られますし、労力もかかります。ですが、その経験から得た指導方法や話術は、これから先に指導することになるまだ見ぬ似た背景をもつ生徒を救うことにつながるかもしれません。

<進路指導>

どのような生徒でも、退学にならない限りは卒業を迎えます。

となれば、進路指導はどんな生徒にも必要です。過去の授業でどうだった、あぁだったと恨みを持ち続けて進路指導をすることはできません。卒業すること、その先が何があるのかをわからせること、それに向けての努力をさせることも、教員の仕事です。一時的な感情に縛られると、この進路指導でうまくいかない場合も出てきます。ですので、授業中でも大学や就職など教員自身が経験したことを語る場は必要だと考えます。それが気軽にできて生徒との会話を増やしていけることも、底辺校ではやりやすいと思います。生徒もいずれ卒業が来ることは当然わかっていますので。

 

辛い辛い一年目

底辺校に限らず、教員一年目はとにかく辛いことが多いです。授業を始めとした生徒指導然り、教員間の関係然りです。正直、不登校になりたいと思うことが何度もありました。それに対する救いは求めない限りはほぼないですし、さらにひどいことに求めても希望通りにはなりません。なぜなら、他の先生も自分や自分のクラスで手一杯です。忙しいのです。アドバイスも聞く人を間違えると、体育会系の精神論が返ってくるばかりで辟易します。

そんなことで、教員としての志が折れてしまっては非常に残念です。乗り切ることで見えてくる面白さや喜びは必ずあります。教員になると決めてなった方であれば、それは間違いなく人生をかけてできる仕事になっていけると思います。ぜひ、試行錯誤して行動して失敗してください。それが教員としてのあなた自身の大きな成長に繋がりますし、さらには生徒の成長につながります。

(私は志半ばで、このブログを立ち上げるきっかけに出会ってしまいましたが・・・)

 

ぜひ、これを読んでいる方の中に悩まれている先生があれば、周りの意見を聞くことも大事ですが、今一度自らがどうしたいのかに焦点を当てて考えてください。

辞めるも選択肢のひとつです。決めるのはあなたです。あなたのために判断してください。

教育の現場では、多くの方が自分の仕事などで精いっぱいです。助けを待つのでは、助けは一向にきません。自らそれを求めることによって、助けてもらえる環境をつくる必要があります。

ですが、助けてもらってその場をしのごうだけではなく、『こうしたい』『こうなってほしい、だからこうする』といった思いがあると思います。ぜひその思いを貫けるように動いてほしいと思います。

私は現在も教育の現場で働いていますが、過去の大変な思いがあったからこそ今があると考えています。すべては、未来を担う人材を育成せんがためです。これが私の思いであり、教育現場に居続ける理由です。

常に心休まる状況がない状態ではたらいている先生方に敬意を表すとともに、場所は違えど共に未来のためにはたらいていきたいと思います。

辛い経験をした後にやってくることについて書いた記事です。こちらもご参考になれば。

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