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自己研鑽をしていないことが不安要素になると思うようになった

教育の視点
イラストACmybearsのイラスト

自己研鑽の必要性を感じる瞬間

 自己研鑽と聞いて、現在の自分において具体的に実施している内容が浮かぶか、それとも耳が痛いなぁと思うか。

 教員なれば、小さなことであっても「できている」と自信をもちたいものです。

 日々、多様な児童生徒と関わる中で、必要と思われるものやことについて、自己研鑽ができているという自負が私にはあります。

 学校で案内されたり、自ら探したりして受講する研修は、今はオンラインで受けられることが増え、休日であっても気軽に参加できます。また、教育関連書籍を読むことは減っていますが、代わりにオンラインで教育技術や情報を得やすいようになり、情報サイトで登録しておけば更新メールが届くのですぐさまアクセスできるようになりました。  

 おかげで、書籍を読むことに当てていたまとまった時間を分散させつつ、多くの情報に触れられるように変わってきています。

 職場において、自分の活動を振り返る場面、自分以外の人の行動を見る場面に遭遇するたびに、自己研鑽の必要性を感じさせられる瞬間が多くあります。そのおかげもあって今の自己研鑽に向かう姿勢や行動ができていると思います。

 教育においては様々な事柄(技術、指導、心理、進路など)が関わっており、その内容は多岐に渡ります。昨今では、どなたもそのように言うかと思いますが、特にICT機器の利用とPCやiPad内のアプリの使い方では、顕著に感じます。

 今回の記事では、ICTを主題に据えながら、多忙が常態化し、職場で先輩から教わる機会が少なくなっている中での自己研鑽について述べたいと思います。

 

ICTに関わる教員の現状~自身の経験から~

 経験のないことや知らないことに、積極的に関わり、知見を増やし、自身の教育実践を深めたり、仕事の効率化を図ったりと、好奇心と目的をもって行動することが、教員として持っていたい態度と私は思っていますが、まさにそれらが試されるのがICT関連のことではないかと思っています。

 ICT関連で具体的なものと言えば、すでに導入され児童生徒もみな持っている状態である、GIGAスクール構想で配布されたiPadの活用です。従来通りのアナログなやり方を貫いて活用しないという選択肢は、持ちづらい状況にあるのではないでしょうか。

 よって、導入されてそれなりの時間が経ちますし、学校でも会議が設けられ、多くの教員が活用し、さまざまな活用アイデアを実践し共有して学校全体で児童生徒とともに有効的に活用していく。そのような状態になっていてもおかしくない状況であるにも関わらず、旧態依然であり続けることを頑なにする方がいるのも事実です。

 今までであれば、職員室で経験がある教員から、こういった場合にはこうするなど雑談をしながらコミュニケーションを取る中での、指導や助言が様々な場面であったかと思います。また、今もそれは失われていないものです。ですが、昨今その機会については、かなり減っているように思えます。

 ベテランであろうが新人であろうが、すべきことに追われ、そのコミュニケーションを取る機会が限られている。聞けば聞かれた内容について返してくれるでしょうが、その聞くことについても必要最低限であり、そこから発展した内容にはなりにくい。それくらい、勤務中には時間的余裕がわずかです。

 その中での”自己研鑽”です。今ある自身の状況を俯瞰し、足りないもの、より向上させたいものを考えて、必要なことを自ら求めていく姿勢。これは、自ら作り出さなければなりません。

 教員に限ったことではなく、どの社会人であってもこの自ら作り出す姿勢が無ければ、自己研鑽にはなり得ません。

 多忙であり、時間がないということを理由にして”しない”自由もありますが、それでは能力は向上しません。長い目で見れば、児童生徒への教育の質が向上しないだけでなく、低下することを意味します。この事実は、仕事をする上で大事にするとかという以前で、しないことが考えられません。教育については、約150年変わらない体制であり、時代遅れも甚だしいとよく言われますが、その状況においても学ばないでいることは、全くもって恐怖です。

 先のICT関連ですが、使えるようになった教員は、教育技術含めどんどん向上していく一方で、使えるようにならない教員は、向上していく教員と差がつくだけでなく、デジタルネイティブである児童生徒に与える影響も大きくなる可能性が高いです。もちろん、あえて行うアナログな活動が、児童生徒を刺激することにもなりますが、その”あえて”ができるのはやはりICTを扱っているからこそ生まれやすいものであるとも思います。

 

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自己研鑽がいつどこで生きるか

 今まで述べてきたことを踏まえれば、”今”の学校において自己研鑽にどんどん励むことが大事と言えます。

 ICT関連は現場でみんなが使っているのだから、それに合わせて使い方を教えてもらいつつも学んで、使えるようになっている。それくらいしているとおっしゃる方もいるでしょう。

 しかし、私が自己研鑽として想定しているのは、仕事上必要なことへの”付加価値”となる部分をいかに自身で生み出せるかです。

使えるようにするだけでは足りないのです。

 先のICT関連を例に取れば、iPadやアプリを指導上必要であるから使えるようにする。そこで終わらずに、自身の持っている教育技術や知識と組み合わせて、より発展させることにあります。

 例を出しますと、iPadはスマホ同様アプリをインストールすれば、様々な機能を持たせることができます。学習の場面で教員が知識を持っておらずとも、iPadで検索して知識を得られます。また、カメラで撮影すればその撮影されたものの情報を検索するアプリを使い、知識を引き出し学ばせることもできます。他の場面では、調子が優れず保健室で横になっている児童生徒が、完全に授業に出席できなくとも、アプリを通して授業を閲覧することもできます。さらにグループ学習の場面、以前は付箋を用いて意見を出し、項目ごとに分けて議論や思考を整理していく手法であるKJ法もアプリで付箋なしにできます。班毎に意見をまとめることについても、あえて対話ではなく時間はかかりますが、iPadへの入力だけを行わせて、相手に文字だけで考えを伝えることの難しさや表現の仕方の工夫を学ばせるやり方もできます。

 さて、この発展させる過程では、自らが興味や目的をもって使ってみないと児童生徒に使わせることはできません。教材研究ともいえますが、自己研鑽です。iPadとスマホは機能も似通っているので、自身のスマホも立派な自己研鑽の材料です。ですので、私はスマホの機能を使いこなすことや現場で使えそうなアプリはとりあえずインストールして使ってみます。

 一見すれば、スマホをいじっているので遊んでいるように見えますが、このアプリは授業中のあの場面で便利だとか、この前記事で読んだあの内容を実践してみようなど、スマホ1つで自己研鑽ができています。すべて賄えているわけではないので、PCや書籍なども活用していますが、多くの内容がスマホでできるのは事実です。そして、使っていれば必ず失敗があります。その失敗は、スマホを使うという点では、児童生徒にも共有できる失敗です。それが、時にはメディアリテラシーを伝えることにもなります。

 

文部科学省のホームページでは、働き方改革の中でICTの活用を積極的に行うなど全国で努力をされている学校や先生の事例を紹介しています。少々分量が多いですが、参考になる点が多くあります。

 

 さてその自己研鑽の結果、当然教育現場全般で活用ができます。授業中の児童生徒との交流、事務作業など様々です。そして、これらのICT関連技術については、現在はまだ通過点に過ぎず、今後もいろいろな機能をもった機器やアプリが登場するはずです。 

 次々に新しいものが出てくるので、「追いつけるようにしなきゃ」と捉えるとしんどいですが、日々活用をしていると「この機能をもったアプリを待っていた」など発見があり、楽しくもなっていきます。

 

おわりに

 これはどのことにも通じるものだと思っていますが、「好奇心」と「目的」。

 これが何か新しいことやものをとり入れる際に重要なことであると思います。命令によって与えられたことは、やれますがどうしても気持ちも乗らず、続きにくい。自ら心を動かし、体を動かし、求めていく姿勢。これなしには、自己研鑽は耳が痛い話になっていってしまうのではないでしょうか。

 そして、児童生徒に向けてもこの姿勢を持っているかどうか、それを元に行動しているかどうかによって、実践したい教育内容が伝わる、受け入れられるが決まる部分もあるように思えます。

 教員は日々多忙である。これは、誰が見ても否定はしないでしょう。だから多忙を理由に、自己研鑽する時間を確保せず、何もしないできないの理由にすることについては、どうでしょうか。

 最近では、自己投資が自分にお金や時間をかけることとしてよく聞かれる言葉です。その自己投資の中に自己研鑽としての意味も含まれているようです。ですから、自己研鑽は、恐らくいつの時代であってもこの言葉でなくとも世間で話題になると思います。

 未来でまた話題となっているとき、「耳が痛いなぁ」となるか「また話題になっているけど、話題の背景はなんだろな」となるか。

 それは、”今”のあなたにかかっています。

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