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卒業がゴールでなく、卒業を最高のスタートに

体験記

日々の教育活動はもちろんですが

日々、多くの先生方が目の前の児童・生徒に対して、「他の模範となるような行動をしてほしい」、「学力向上させたい」など様々な思いをもって接しておられると思います。

こうしてほしいと意識するのは、とても大事ですし『生徒の成長』を考えればこそです。そして、そういった教育が将来の児童・生徒の姿をつくっていきます。

 

ですが、”今”だけを意識するのと、”卒業した先”での活動を意識して教育するのでは、結果的に児童・生徒の成長具合に差ができるものと考えています。

そのように考える理由とそう考えて行った教育やその結果の姿をご紹介したいと思います。

 

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児童・生徒の考え方の変容が、行動変容を促す(教師はきっかけ作り)

教員の考え方は児童・生徒に伝わるものであるし、児童・生徒の行動は教員の言動で変化するものです。

 

では、”卒業した先”での活動を意識して教育について、具体例を踏まえながら詳説しようと思います。

まず、”今”を意識した教育についてですが、これを否定するつもりはありません。これは必要なことを、適切なタイミングで指導をしていくもので、“今でしかできない”ことも多々あります。

ですが、目の前にある”今だけ”を見ての指導は、に対する意識がどうしても薄れます。

というのは、児童・生徒がどのような成長をしてきたかです。どのような家庭・環境で育ち、どのような考えのクセや性格となっているかを指します。

特に、愚痴が多い、諦めやすい、自己否定が強いなど、負の側面が多い環境では、児童・生徒の自己肯定感は低い傾向にあります。

 

というのは、現在の考えやクセについて、将来、進学先や社会に出たときに活かせるもの、変容が望まれるものをあります。

そして、教師はそれに気づき、中・長期的な視点での指導が必要となってきます。

 

なぜかというと、「」については、入学以前の家庭環境等で長い期間をかけて形成されたものであることが多いです。家族や親類における教育は、その大人たちが良かれと思ってずっと継続してきたものですが、児童・生徒の心を苦しめてきたものの可能性もあります。他者との比較や、親子間での比較、兄弟との比較。比較に限らず、否定や不全感を与える言動がそれに当たります(逆にプラスにはたらくはげましや勇気づけもあります)。

そのような中で生活し染みついたものを、学校やその他、家庭以外の環境で変えていくには、同様の時間を要するか、よほど大きな心の動きがある体験(信頼できる友達や大人との出会いと交流など)が必要になってきます。

 

しかし、現実的になかなかそのような心が揺り動かされる大きな体験はしづらいものです。

なぜならば、学校は発達の段階に合わせたカリキュラムの中で、各学校の年間スケジュールに基づき、各学年における目的や目標や各教師の指導感といった、ある一定のシステムで動いている場合が多いからです(言い方を変えると、児童・生徒らの自由な振舞いを許さない状況にあります)。

例えば、運動会や体育祭といった行事。指示通りに動くことを要求され、そうでないと指導が入ってしまう傾向が強いはずです。

 

これらを踏まえ私は、教員による観察、見守りと許容・受容、変容を促すプラスの声掛けが不可欠になると考えます。これがを見据えることにもなります。

目の前の児童・生徒の現状を捉え、進学後や社会に出てからのことを踏まえて関わってゆく。これは、学齢によらずに、どの場面においても有効であると考えます。もし、学齢を考慮にいれるのであれば、発達段階が低い状況で気付き、変容を促す行動に移してゆくことが、変容のしやすさにつながります。

 

さて、についてですが、これは児童・生徒自身が見通せてもいませんし、教員側も多くの可能性をがある中からひとつに絞って指導していくことは不可能です。ですが、について気付き、変容の必要性に気付けていれば、最低限変えたい部分は《これ》であるといった指標はもてるはずです。それを基点に、関わり方を考え、その結果での変容によって、児童・生徒が好転する環境を築いていくことが肝要と考えます。

 

ゆえに先に述べた、教員による観察、見守りと許容・受容、変容を促すプラスの声掛け

 

これが必須となります。児童・生徒と関わる中で、最低限変えたいことについての言動が現れたときに、はたらきかけを必ず行うようにし、変わっていく【きっかけ】を形成します。

ただ、あくまでもきっかけづくりを考え、必ず変える!!など大きく構えずにいることが、教員の関わり具合や頻度の安定にもつながると考えます。

 

今ある考えを元にして行った教育の例と結果

さて、現在に至るまでに、以上のような考えをただ持っていただけでなく、実際の教育現場で実践してきました。その例と結果を1例ではありますが、ご紹介したいと思います。

 

その生徒は、始めて会った時からとにかく寡黙で、こひらの問いかけにも返答するのにも多く時間がかかったり、話をしている途中で遠くを見てしまう、それがあってか学校生活でもほとんど他の生徒と交流することはありませんでした。授業中も、どちらかというと上の空。休み時間も、何するわけでもなく過ごしていることが多い生徒でした。

保護者はというと、家でもそういった状況である様子で、困っているといった印象を受けました。ですが、気になったのは、すべて保護者が生徒の感情や行動を先回りして決めているようにも感じました。

そのような、観察から、生徒自身が自己に関し、自己決定をしそれを実行させていく中で自信をつけていけるようにしょうという方針に至りました。授業や行事などで、折を見ては声掛けをし、できていること、提出物や生活ノートの中身についてなど、記述量が乏しくなかなか質問しないとわからないこともあったので、質問をするなど行いました。決して、生徒がこちらが望むような反応を示さなくとも、それには一切触れずにただただ関わりました。

あるとき、うっすらではあるが生徒自身が、他の生徒と交流したい旨が書いてあり、そこれは好機と話しかけ、どうしていきたいかの希望を聞きました。すると、以前からその気持ちはあったのか、今までの反応とは打って変わって自らの話をしてくれました。そして、その思っていることを実現するためには、どういった行動が必要で、私にできることは何かと尋ねました。すると、自分で話しかけることが難しいので、そのきっかけづくりとしてほしいという希望を話てくれました。

その後、授業でグループワークをする際にその生徒のところへいき、話を振りつつしゃべらせることをしたり、ホームルームで他の生徒と話をさせる際にも同様に行いました。これは生徒が要望をだしたから行ったわけではなく、日頃から取り入れていることで、どの生徒にも行っていました。しかし、該当生徒は今までほぼ反応がなかったので、うまくいかなかったのです。ですが、生徒自身から出てきた気持ちもあり、変化が現れ、自らの考えを述べたりなどが少しづつできるようになっていきました。これには、他の生徒も驚きつつも、嬉しい気持になってくれたようで、その話に乗ってきてくれたりしたことも功を奏しました。

結果的に、その生徒は以前のような生徒ではなくなっていきました。ここに至るまでには、およそ10ヶ月程度過ぎていたので、やはり途中は私自身も、いったん関わることをやめ、観察に専念したり、事ある毎に関わったりするなど、いろいろと試し、そして気を揉むことも多くありました。ですが、望む状態とまではいかないまでも、生徒の変化を自身が担任をするうちに見ることができたことは、非常に嬉しく思えました。

 

見ている今がすべてではない~希望を持ち、関わり続ける~

上記の例と結果は、私が経験した好例です。そうでないものももちろんあります。そして、今なお教育を続ける中で実践していき、経験を積んでいる最中です。

自身が担任、担当する今だけを見ると、どうしても「どうしてこの児童・生徒は、こうなんだ」「力不足だ」「だめだあいつは」と自身を責めたり、児童・生徒、保護者を責めたりといった結果を招きやすく、それが悪循環をつくってしまいます。

それを避け、卒業時に、次の進路先に前向きに向っていってもらうためにも、を見る、を考え、”今”に関わる。

これを日々、実践していくことが必要であると考えます。

 

もちろん、教員自身が日々多忙で、自身を犠牲にして、児童・生徒だけでなく、様々なことに疲弊している現状を鑑みると、そういった余裕は少ないのかもしれません。ですが、児童・生徒のを卒業させて終わりという考えは、多くの教員が持っていないはずです。日々の中で、必ず教員となるにあたっての、強い思いや考えがあり、携わっているはずです。そのお持ちである思い・考えの中に、この記事のようなものを取り入れて、実践していっていただけると幸いです。

 

ここまでお付き合いいただき、貴重な時間をいただき、ありがとうございました。

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