教員経験の中で幾度となく浴びせられる、児童生徒の率直な意見
日々、児童生徒と接していると様々な考えや意見を聞く機会があります。その中では、こちらが思わず「へぇ〜」や「そうだよなぁ」と感じるものも多いです。中でも、返答難易度の高い部類に入るものが『今の勉強は将来役に立たない』だと思います。
さて、みなさんは日頃どのように回答されているでしょうか。すでにご自身の考えがあり、スパッと答えているでしょうか。私も幾度となく、生徒からは叫びを伴って言われ、その都度話をしてきました。
私が決まって言うことは、『それはあなた次第』です。ただ、それ以外については、経験を通して変化しています。私自身も学習によって変化しているので、時間があればその根拠も含めて話をします。つまり話す内容は異なります。一貫性がないと言ってもいいでしょう。
決まり文句を言ったあとは、例えば〜と話を進めていくのですが、教員経験の浅い時期はいわゆる模範回答的な内容でした。それは「考え方」が将来の役に立つのだと。ですが、そこから変化し現在では全然違う返答です。
今回の記事では、その返答内容とその理由についてご紹介します。
※私は中高生が教育対象であることが多く、紹介する内容はその世代に向けたものになっていることをご承知おきください。
「考え方」を説いていたとき〜生徒は返事をするものの〜
「考え方」が役に立つという視点で話をしていたときの内容
以上について、
はい、そうすると生徒はわからないという顔を浮かべて、『え?!』とか『は?!』という返事をします。
まぁ生徒はおそらく想定していない内容です。邪推ですが、生徒からすれば、『将来役に立たない』の発言は、純粋に思っていることに加えて、こちらを困らせてやろうといった意図があるかもしれません。でも、返答が逆に選択を迫られるので、当然の反応ではあります。
今の返答〜あなた次第と言った後〜
その結果、今がとても楽しい。
なぜなら、仕事でも家事でも学んでみて、わかってできるようになることがすげー楽しいと気づいたから。
特に実技教科は、主に日常生活とか家事での場合がほとんどだけど、学校の教科書に載っていることを見返してみて、あぁ大事なことを習っていたんだなぁと実感できる。
ただ、同時に思うことは、大人になってから気づくのではなくて、子どもの時になんで気づけるような経験をしてこなかったんだろうということ。もし、それに気づいて多くのことを学んでいたら、どうなっていたんだろうとも思う。
一方で、勉強をしなきゃって自分にストレスをかけて勉強していたら、今が楽しいにはなっていなかったかもしれない。
何が言いたいかって、やっぱり「学校の勉強は将来役に立つ」ってこと。
それぞれの教科で学ぶこととそれを学んだことでどうなることを期待しているかって定められているけど、それだけが重要でなくて、わかるとかできるとか、得意とか不得意とかって、実際にやってみないと判断できない。また、わかるできるについても、一人か集団かでも変わってくる。
いろんな事柄をいろんな方法で試して、学んだりやってみたりする。それでわからん、できないが自分で把握できるようになる。わからんとかできないは、誰かと協力するとか、依頼すればいいやって思って、できる仲間を作って任せればいい。
わかるできるについては、これはできるぞって自信を持つことができればいい。その上で自分に任せてほしいって思えたら、なおいい。
よくある将来社会で直接使うような知識や技能を学べばと思うかもしれない。
『じゃぁ今将来に役立つもの学んでいくとしたら、一日8時間の学校で学んで12年は最低必要だとわかりました。専門的に学ぶならさらに4年から6年必要です。しかも、それぞれの仕事によって内容が異なるので、中学3年生からはもうどの仕事に就くのかを選択しないと間に合いません。さて、職業はざっと10000種類くらいあるのですが、必ず選ばないとその職業には就けません。途中で変更するならば、中学の卒業後からやり直しです。』もちろん数字は適当だけど、職業数は実際にはもっとあります。
さて、選べる?
多くの人は無理ですね。なら、多くの人が学んだ方がいい内容は何になるでしょうか。またどんな学び方をすると、将来に役立てることができる人が増えるでしょうか。
そう考えると、どうするかは「あなた次第」なんです。経験をしてみて、その結果を受け止めて、どうするかを決めていく。その経験は何度もいろんな場面でやっていかないと、上手になっていかない。
さて、最終的に私のような道になるかか、そうではなくて今やれることをやる問題を道を進むか。それとも、自分にあったやり方や事を独自に探ることを学校以外でやっていくか。
話す内容の大筋を記載しましたが、ほぼこの内容です。大体は静かに話を聞いてくれます。話の持って行き方をそうしているのですが、聞いている生徒らは途中で何か気づいてくれることが多いです。
補足
一応補足です。実技教科が重要と話す理由です。不要ならば飛ばしてください。
家庭科:一人暮らしであるかどうかに限らず、料理や掃除など衣食住に関わる生活関連の知識・技能の重要性。すべて外注することができる世の中だが、その資金はどうするのか。
金融教育も始まっているが、具体的な数値の計算ができなくても、貯蓄と投資についてそれぞれのメリット・デメリットの理解が、さらなる将来への判断材料になる。知識のあるなしで、行動が変わらないと思うか、変わると思うか。
また、スマホを当たり前に利用しているが、その契約内容や費用との関わりなど、どこまで把握しているか。どこまで自分の意思で決定しているか。それらについて、あと数年のうちですべて自分でできるようになれるのか。
技術科:製品のちょっとした故障について、保証期間外の場合、専門的な資格の有無によらない修理などの作業について、自分で直すことと直ぐに買い替える、場合にもよるが買い替えだけしか考えないのか。また、自ら作業して物を作り出すこと、既製品を買うこと、時間とお金のバランスを考えて行動するか。すべて買うことしかしないか。
ここでもスマホが関わるが、情報リテラシーがあるのとないのでは、詐欺などの被害に合う確率がどれだけ変わるか。
音楽科:Quality Of Lifeの観点から、音楽のある生活についてどう考えるか。自身の気分を上げる音楽、作業効率を上げる音楽の知識があると生活はどう変わるか。
美術科:絵画だけでなく、インテリア類の配色や配置によって住環境を良くすることをどう捉えるか。また昨今ではSTEAM教育の一つとして、美術(Art)要素が重要視されており、美術の感覚を身に付けることが仕事などにおける発想力に関わるとされている。
体育科:運動と健康維持は生涯に渡って関係する。運動不足と自覚しつつ、健康に気をつかえず、体の衰えと共に気力が低下して老化が進むことをどう思うか。自分はどうなりたいと思うか。
学校が答えを提供する場でないと伝えたい
文章化すると長いですが、5分程度で終わります。
さらに、じゃぁ主要5教科の学習の意味ってどんなことが考えられる?と追加質問をしていきます。それぞれの教科について、実技教科の知識・技能を活用する場面でどう関連していくと思うか、それぞれ考えてみたらどうかな。といった具合です。
すでにお気づきと思いますが、ある程度の誘導はしておりますが、こちらですべての答えを用意していません。自ら考えて気づく。その促しにつなげる話をしています。
結果的に生徒自身が必要性を見出して、「じゃぁ将来に役に立つかもしれないからやろう」、一方で「やっぱりやらない」などと、自分なりの結論に達することに焦点を置いています。自ら考えることで私の言う『あなた次第』を具体化させたいのです。
その時点で生徒がたどり着いた結論があれば、それを否定せずに、自ら考えることができた点を認め、その考えは絶対ではなく、今後も経験を通して調節することが大事と結論づけます。もちろん、考えた結果、わからないとなる生徒もあり得ます。その生徒には、自分一人でなくとも同じ話題をいろいろな人と共有して、自分が納得いく答えを探る方法もあると伝えます。
大体この話題が出ると授業はつぶれますが、それは些細なことです。生徒の言葉を受け止めて授業を止めてでも話したり共有する価値がある話題だと思っているからです。
明確な答えを言わないのは、学校で教えられたことが全てではなく、生徒が自ら考え行動し結果を自ら受け止めて、次に生かす。当たり前に学校では実施されているプロセスを、ちょっと長期視点で考えようよという捉え方です。
ただ、なかなかその経験がない生徒らにとっては、ちょうどいい機会ですから、ちゃんと取り扱って話をします。
生徒らは大体この話の後はモヤモヤするようです。当然ですが、少々言いくるめられている感があるからです。しかし、将来について、普段とは違う見方を一つ得られるので、考え方がちょっと変わる生徒が出てきます。全員が腹落ちする話はなかなか難しいですが、受け止めてくれる生徒がいるという事実を大事にしています。
〇〇しなさい!での成長はわずかと考えることから
これは誰しも経験があるとは思いますが、親や先生に言われた「〇〇しなさい!」でやったことは、あまり身になっていないと私は感じています。一方で、自らが起こした行動によって得られた結果は、自然と記憶にも残り、改善や工夫になりやすいものです。
私はこの経験から、生徒に物事を促したりする際には、こういった事実や考えがある。それについてあなたはどう考えて、行動していく?という問いを多くの場面で行います。
言い換えれば、生徒が自身の置かれている状況を把握し、そこからどんな行動することが、生徒自身が一番納得して結果を受け入れて、次の行動を起こせるか。
勉強の話で言えば、将来に今の学習が生かせる場面があるかないか、その判断を今して将来を迎えるか。それとも、もう少しその判断を遅らせてから改めて考えるか。
生徒に思考を促す問いは、道徳を含めた教科指導でも、学活、探究の時間でもなされているはずです。ですが、自分自身の将来という視点では回数はそれほど多くなく、職業に絡めた学活や探究では実施されていますが、それ以外では無いように思えます。
なので、意識的に考える場面を作りたい。思いと実践とは噛み合わないことが多いです。とはいえ、機会は捉えて実施する姿勢は忘れないようにと意識しています。加えて、〇〇しなさい!にならないようにすることも意識しています。
おわりに
現代において、何かの”答え“を求めようとする場合、検索したい言葉を打ちこめば、それっぽいものは一瞬で探すことができます。ですが、それらはあくまでも情報を得た人が自身の経験や知識を載せているに過ぎず、検索した本人に合うものであるとは限りません。“誰かの答えを自らの答えを導く参考にする”であればよいとは思います。
もし、今ここまで検索でたまたまご覧になっている方はぜひ実践していただきたい。
それは、自らの考えを生徒にぶつける経験とその反応の経験をすること。
その経験から得られたことが、さらに生徒らに訴えかける言葉に変わっていき、生徒らを成長させる力に変わると私は思うのです。
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