自分が生徒だったときの感覚
授業を受けていたときの感覚を覚えているでしょうか?
私は、まだアクティブ・ラーニングという言葉が一般的でなかった頃に教育を受けていました。
先生の多くはチャイムと同時に教室に入り、特に導入もなく新しい単元に入ったり、前回の続きと言って淡々と授業を進めていました。
授業中の生徒の活動といえば、宿題と称して指名しておいた生徒に答えさせる。教科書の問題を指名してその場や黒板に出て解答させる。
生徒が意見を出し合って課題を解決していくといった「課題解決型」の授業は、年に2回程度でした。授業中に「寝る」ことはしませんでしたが、授業を真剣に聞いて理解しようとしていたかと問われれば、答えは「NO」でした。
教員となり、生徒が主体的に活動し問題を解決していく授業を求められる
研修で経験もなく、周りにも実践している先生もおらずの状況で、「生徒主体」の授業をつくっていきましょうと言われても、正直最初は「はぁ・・、そうですか」といった感じでした。
私が教員になった当時は、生徒が問題を解決する授業の以前に、
- 生徒たちがまずお互いをよく知らない。
- クラス内に、ほとんど話したことがない人もいる。
- 男女間での交流が難しい。
などといったことを解決する必要がありました。
(現在において、生徒たちは小学校・中学校と段階的に先生に訓練されて育ってくるので、かなり「問題解決型授業」を展開しやすい状況になっていると思います。)
特に、当時は何も考えずに、「そういう方針なのかじゃぁそういう授業をつくっていこう」と考え、せっせと授業をつくっていきました(ここで文句を言って、授業改善しない方がもうちょっと教員を長く続けられたのかなと思います。何せ、授業準備でかなり時間的・金銭的に自分の首を絞めるような状態になっていきましたから・・・・)。
授業を変えたら、生徒が変わった
隣や班で話し合えないと成り立たない授業展開を考えたので、授業を変えると同時に、生徒同士の関係を変えていくことも行いました。生徒に浸透するまでは、かなり忍耐が必要でした。
続けていると、変化が次第に現れてきました。今まで受け身で受けてきた授業とは異なり、自分たちが話をしないと進まないし、答えが出てこないわけですから、仲良くないとか男女の関係とか恥ずかしいとか言っていられません。
指名も少しの予習が必要かつ、授業内容の流れの中で行うので、予習に加え授業を聞いていないと答えられません。授業中の発言については、評価の対象にしていたので、答えられる・答えられないを生徒の目の前で名簿チェックしました。生徒も自分の評価がすぐに判断できます。
結果的に、やらされているからやらなきゃに変わっていきました(実際には生徒を追い込む形になっているので「やらされている」というのは変わらないですが)。もちろん、やらない生徒はいました、でもそれはそれでいいのです。評価の方法を目の前で披露していますから、それが納得できないのであれば、評価はそれなりにしかならないとわかった上でやらないという判断なのですから。
生徒対応しながら授業の質を高めるならばこちらも参考に
おわりに
「教員の基本は授業」、何度も目にも耳にもします。でも、それは自分で実感してこそわかるし、ものにできるものだと思います。
しかし、前々からそうでしたが特に近年はその基本に時間を取れない状況になっているのが現実です。
とにかく、やることが多すぎます(これを見ている方は、主に状況を知っている方だと思うので、詳しくは割愛します)。やることを終えたら、もう正直帰って寝ないと、もう明日がやってくるという時間になっていることが多いです。
毎日がその繰り返しです。疲れたなどと言っていられません。中学・高校では土日も部活です。ある新人先生は、毎日エナジードリンクを何本も消費していました。私も、車の中にはファイト一発の亡骸がいくつも転がっていました。
教員の働き方改革・・・・現状ではムリだと思います。
今は、1人でも私のようなことになる人が減ることを願うばかりです。
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